peter kennedy

ピーター・ケネディ教授講演〜英国における統合失調症の予防とリハビリテーション〜

統 合 失 調 症

― 英国における予防とリハビリテーション、ノーマライゼーション ―

ピーター・ケネディー


序文
ピーター・ケネディー教授(現ヨーク大学,客員教授)は、1969〜80年までエディンバラ大学の講師をお勤めになり,当時のご専門は自殺に関する疫学で,多くの業績があります。1980年からは,ヨーク市において地域精神医療に本腰をお入れになり,英国の大きな精神病院を潰し,精神障害者のために幾多の建設的挑戦をなさってこられました。2002年からは,現職にお就きになっておられます。私がエディンバラ大学に留学した際の直属の指導医であり,この度豊後荘病院のteaching staff としてお招きいたしました機会に,茨城県精神科病院協会の職員の皆様のために,英国における近年の統合失調症対策の成功と失敗についてご講演をお願いすることになりました。 

鈴木 守(豊後荘病院)


1  はじめに
精神疾患の表れ方は、非常に文化の影響をうけます。私は日本文化に関して、詳しくは存じておりません。それゆえに、本日の講演では、英国において統合失調症がどのように治療されているかということに限定してお話ししたいと思う。日本と英国には類似点もみられるであろうが、注目に値する相違点もみられる。日本に滞在している間に、英国と日本の相違点を探究したいと考えており、これについてお互いの関係を通して学べることを期待している。

2  英国における統合失調症
英国では、100人に1人が人生のある時点で統合失調症に罹る。そのうち20%の人は回復し再び悩まされることはない。また別の30%の人にはさらなるエピソードがみられるが、長期かつ良好な寛解がみられる。しかし、全例の約半分の患者は、問題が持続し、罹患した人の4分の1の人たちは、長年にわたり重篤な障害がみられる。
それゆえに、統合失調症は、新規の発症率は相対的に低いにもかかわらず、その慢性的な経過によって、英国では重篤な障害の最も大きな原因となっている。統合失調症は、心臓疾患や呼吸器疾患、神経学的障害や関節障害などのすべての他の慢性疾患より高い有病率となっている。
世界保健機構により1970年代に行われた統合失調症の国際研究によって、産業国では、統合失調症はより重篤で永続的であることが示唆された。また、あまり発展していない農業社会では、統合失調症は、さほど慢性化せずにより良好な転帰がもたらされることも示唆された。
この研究は、統合失調症を悪化させ長期化させている社会的要因を慎重に見出さなければいけないことを示唆しており、その研究成果によって統合失調症の発症率を下げることはできなくても、統合失調症の慢性化を阻止することができる可能性を示唆している。

3  予防
重症で慢性化するタイプの統合失調症患者は、その病気の発症が潜行性であることが多い。英国では、家族や友人が最初に本人の変化に気づいてから、本人が統合失調症の診断と治療のために専門家のサービスに紹介されるまでに平均2年を要する。
その2年の間に本人の社会的機能や回復の可能性が大いに障害されることもある。
この病気は、通常10代や成人早期に始まるので、教育が中断されたり、教育の達成度が下がったりする。就労の可能性もかなり低くなり、両親や兄弟姉妹、友人との関係は緊迫し、疎遠になる。関係が完全に壊れて本人は社会的に孤立するかもしれない。アルコールや薬物の乱用がこれらのすべての問題を一層悪化させることもある。
2年かそれ以降に本人が明らかに精神病的となるとき、精神科サービスでの最初の体験は非常に不幸なものとなるかもしれない。危機にある本人は、専門家により診察をうけるが、その危機に対処する治療者に対する信頼感はなく、しかも病識が欠如している。本人は、病院の中に強制的に留置されることに、きっとぞっとし腹を立てるだろう。急性期精神科病棟はこわいと言ったり、うんざりだと言ったりする人がたくさんいる。患者の意志に反して開始された薬物療法は、持続する憤りと薬物治療に対して否定的な態度をもたらすであろう。これらの体験によって、本人は決して精神科サービスをうけることを繰り返したくないと考えさせられるかもしれない。将来、本人の助けになる可能性のある医師や看護師、薬物治療に対してかなり否定的な態度が確立されるかもしれない。それゆえに、退院後、服薬が不良となったり、専門家サービスによる監督を避けるようになる。
このような状況は決して望ましくない。家族や友人、雇用者が本人の心配すべき変化に気づいた時すぐ専門家に評価してもらえたらどうだろう。適切な時に病気や服薬について尋ねたり、関係をつくったり、最小量で役に立つ薬や、心理学的介入が危機になるずいぶん前に効果を発揮するように、助言やサポートを本人が専門家から受けられたらどうだろうか。このアプローチが家族や友人との関係が決裂することをさけることを回避できればどうだろうか。教育を受けたり仕事をしたりすることが困難になることから、この早期介入で避けることができるならどうであろうか。これらにより長期転帰に違いが生じるのではないだろうか。
専門家による「早期介入チーム」が長期転帰に関して違いを生じることができるという証拠が、アメリカやオーストラリア、英国のいくつかの都市から蓄積されつつある。現在、イングランドとウェールズの政府は、人口約100万人にこのようなチームを50設置することを決めている。年間に15〜35歳の間の初期の統合失調症や躁うつ病を約400人見出すことを想定している。また、身近な親族が最初に変化に気づいてから専門家の評価を受けるまでの時間が2年からほんの3ヶ月に短縮することも目指している。
そのような大規模な試みが成功するかどうかのエビデンスはまだ確立されていないので、壮大な試みといいたい。しかし、この試みは理論的には正しいと思われる。重篤な精神病を経験した家族は、このサービスを歓迎している。また、精神保健の専門家は熱心である。

4  リハビリテーション
20年前、私がヨーク市にコンサルタント精神科医としてきた時、450床のナバーンと150床のブーサムという2つの精神科病院があり、これらの病院には統合失調症を罹った2つの異なったグループの人達が入院していました。
1940年代、50年代、60年代に成人早期に入院した「高齢の長期入院患者」と呼ばれる人達がいた。彼らは、それ以来ずっと病院に滞在している。私が就任した時、彼らは年配もしくは中年後期であり彼らの数は、ゆっくりですがしかし確実に老年による死によって減少していった。
 もう1つのグループは、ここ10年ぐらいに病気が始まった患者たちのグループであった。彼らは治療のために病院に入院していたが、その期間は3週間から6ヶ月間とさまざまで、症状がコントロールされれば家に帰ることを期待していた。非常に状態がよい人がほとんどだったが、なかには、適応能力が脆弱な慢性の障害をもつ人もいた。当時彼らや彼らの家族をサポートする地域精神保健サービスはほとんど存在しなかった。彼らは、病気の悪化のため頻繁に病院に戻ってくる傾向があった。いわゆる「回転ドア症候群」というものである。

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図1 1960〜1988年における精神科病床数 (人口1万人あたり)





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図2 5人の患者のための新しい家






1980年代に入ると、長期入院をしていた高齢の患者の減少に伴って、かなりの数の病床が余ってしまうことがわかってきた(図1)。およそ半分が空床になってしまったのである。一方、入院患者1人あたりのコストは、これに比例して増加してきた。そのうえ、統合失調症を患い社会的不利を被った多くの患者が、地域で生活する際にアドバイスや支援を与える経験豊かなスタッフも絶望的に不足していたのである。われわれは、半分空になった病院から職員と予算を必要とされる地域へ送らねばならなくなった。
私は半ば空床になった30床の病棟で、ここではなく、どのような住まい、どのような生活を望むかについて、膝を交えて12人の患者に尋ねたことを覚えている。私はその病棟を閉鎖することによって、資金面での充分な支援が可能であることを彼らに説明した。
すでに彼らには病気による症状はほとんどみられなくなっていた。彼らの行動は風変わりではあったが、他の誰かあるいは彼ら自身を困らせるようなものではなかった。大きな問題は、彼らが普通の生活を送るために必要なすべての技術を失ってしまっていることであり、お金の管理、買物、食事、洋服を選ぶことや余暇を楽しむことをやらずにきてしまったということであった。それゆえに、普通であれば驚くであろう、彼らが病院の外でどのような生活を送るか、あるいは送りたいかについて考えが浮かばないということを知っても、私は驚かなかったのである。
われわれは彼らのために、普通の、家庭向けの住宅を購入するというリスクのある選択をした(図2)。こうした家に、友人同士あるいは少なくとも顔見知りの患者を5?6人ずつの小さなグループにわけて入居させ、また彼らのことを知る看護師も、一緒に彼らの家に移動させたところ、患者たちはこのことを喜んだのである。20年にわたり、20人の他の患者と病棟のベッドルームで生活してきた人たちが、数カ月のうちには2人で1つのベッドルームを使うことを拒否し、個室を要求するようになった。食事についてほとんど、あるいは全く選ぶことをしなかった人が、食べ物の好みを表現するようになり、さらには彼ら自身で食べ物を買いに行くためにお金を求めるようになったのである。町の中で生活するということは、レジャー施設、店鋪や社会施設など、これまで彼らを拒絶していたすべての施設が利用できるようになることであり、実際に使われ始めることである。

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図3 1990年に閉鎖された450床の病院






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図3 これに代わる小規模急性期病院






このようにして長期入院患者を退院させることで450床の病院を閉鎖させ、短期の入院のための小さな病院を継続させている(図3)。
「施設症」という社会的不利を扱うことは、長い間、克服されるべき大きな問題ではなかった。しかし、統合失調症により社会的不利を被った若い人たちを自立させようとする期待や挑戦ははるかに大きい問題であった。当時の状況は決して良くはなかったのである。
ナバーン病院を閉鎖することによって生じた資源は、さらに地域精神科専門看護師で構成される数人のチームを作るためにも利用された。地域精神科専門看護師たちは、それぞれが15〜20人の患者およびその家族を担当し、精力的に活動した。しかしながら、統合失調症を患った患者は、再発と再入院を何度も繰り返す。そこでこうした状態は、回転ドア症候群と表現された。これはわれわれの支援が失敗に終わったことを意味していた。
こうしているうちに、精神を病んだ人々による殺人について、国民の間では関心が高まり、新聞はこぞって精神病院の閉鎖について非難した。実際には、精神を病んだ人々が起こした殺人は非常に稀なものであった。精神を病んだ人による殺人事件の件数は、数十年前とほとんど同じだったのである。一方、精神を病んでいない人による殺人事件の発生率は、この間におよそ4倍になっていた。しかしマスメディアは、理性的というよりむしろ感情的にこの問題を取り上げた。そして政府の政策も、しばしば事実に基づいてではなく、有権者の意思によって左右されてきたのである。
1990年代の後半、労働党の新内閣は、国民が地域ケアに不満足であるという現在の状況は先の保守党内閣の無能さに責任があると非難し、また保健大臣は、地域におけるケアは失敗であったと宣言し、新聞やテレビもこれに同調した。
これに対して、患者やその家族、精神保健の専門家から抗議の声があがった。彼らは、患者を専門病院に閉じ込める制度に戻すという考えに反対を唱えた。多くの地域の少数の人々、あるいはいくつかの地域の多くの人々について、地域ケアが失敗であったことを認める一方、すべての地域で地域精神保健制度を発展させるために、地域ケアが成功していた部分を進めることが要求された。こうして、“精神保健に関する政策の枠組み”が作られた。これは政策として重要な、次の3つの原則により生まれたものであった。
@ 国民の暴力からの安全および精神を病んだ個人の自殺からの安全の確保が必要であること
A 最も制限の少ない環境における援助の柔軟性と選択性が必要であること
B 地域支援制度を構成する私的介護者つまり家族や友人同士の連携、および彼らに対する援助が必要であること
これらの政策に基づき「危機解決と在宅治療」に関するシステムが完成したことにより劇的な変化がもたらされた。このシステムにより、すべての人々により高い安全性が保証され、また患者や家族にとっては治療に関する選択の幅が広がったのである。
数人の看護師、ソーシャルワーカーからなるチームが、年中無休24時間体制で、緊急の電話があった場合2時間以内で対応している。入院を必要とするような危機的状態にる人は、まず彼らに相談をする。昼夜を問わず、彼らは遅くとも2時間以内に相談者のもとに会いにいく。そこで危機的状態の評価、自宅で対応できる状態にあるか否かの評価がなされるが、その場所で評価を行なう方が病院やクリニックで評価を行なうよりもよいことが分かっている。必要であれば、経験のあるスタッフが1日に数時間、患者の自宅にとどまり、様子をみることもできる。日常生活に専門家の援助があり、電話で簡単な連絡をすればそれが利用できることを知って、夜も昼も家族やその他の介護者は、より安心して介護ができるようになる。
このサービスを始めて数カ月の内に、病院の入院率は30から50%ぐらい減少した。強制入院も25%、あるいはそれ以上に減少しました。患者の満足度も非常に高いようでる。専門家たちは、家族とともに問題を解決するための教育を受けている。これによって精神科医の日常は予約に基づくものが中心となることによって単純となり、一方、看護師やソーシャルワーカーらは、彼らの自主性が増し、職業的地位が向上した。
国家体制の次の重要な要素は、地域社会に住む最も障害の重い患者の再発予防に専念する専門チームを設立することである。「積極的な訪問看護」に追跡されなければ、ケアからはずれる人々がいる。どんな集団にもこのような集中的な専門的ケアを必要とする人々がいる。そのような人々と接触を維持することは大変時間を消耗する。接触を維持するための患者の意欲は、精神保健の専門家が優先的にとらえるような臨床的問題(例:幻覚)を学ぶことと同様に、彼らが扱う生活上の極めて現実的な問題を学ぶことで高まるのである。この種の仕事はテレビを直すことから買い物の援助をすることまで何でも含まれる。看護師は再燃の徴候が出次第早めに精神科のナースや精神科医に連絡する。
「積極的な訪問看護」は最も重大な公の関心事の1つに焦点を当てている。なぜなら、ほとんどの殺人、自殺、その他の重大な出来事の場合にもたれる公聴会が、それらの問題の原因は継続的なケアの維持の失敗であることを明らかにしているからである。今のところはまだ、「積極的な訪問看護」によって、殺人、自殺、再入院、ベッド利用が減少しているということは十分に証明されていない。しかしそれを目的としているのである。

5  回復
英国の精神科においてわれわれの大多数がもっている偉大な可能性、すなわち、薬剤で統合失調症を軽快させたり治したりすることは十分に理解されてこなかった。確かに古い薬やより新しい抗精神病薬はいくつかの症状を軽減する。非定型と呼ばれるより新しい薬は患者によって気づかれる副作用がより少ないために、比較的許容されやすいようである。
彼らは本来の状態である統合失調症の持続的な症状のみでなく、私たちが行った治療によっても汚名をきせられている。それは遅発性ジスキネジアで、この損なわれた外観やしばしば永久的な神経学的障害により彼らは正常でなく奇妙以上のものとして際立つのである。そして遅発性ジスキネジアが薬物の不要な効果として認められるのに、フェノチアジンの導入後16年かかったということを忘れてはならない。われわれは絶えず警戒していなければならない。副作用がないと主張される新しい非定型の薬から、まだ確認されていない問題が出てくるかもしれないのである。
統合失調症の心理学的治療の可能性への考えは英国では15年の間に確立されてきた。統合失調症に苦しむ家族や患者において、薬物療法とバランスをとるために心理学的治療に重点を置くことが要求されているが、この挑戦に応じるのは容易ではないだろう。なぜなら、心理学的治療は一般的に、より多くの訓練、技術、時間を必要とするからである。英国の精神科医や精神科の看護師はまだ熟練していない。現在の心理学の専門家たちも統合失調症のような重度の精神疾患をもつ人々を扱う仕事を選択してきていないのである。
ここはこれらの新しい治療や評価について詳細に語る場所ではない。しかしながら、訓練されたスタッフが、「統合失調症から回復している人に対してどのような行動が役立つか、どのような行動が役に立たないか」について、家族を教育することで、結果に大きな違いをもたらし、再発の危険を減らすことができるという証拠がたくさんある。そしてしばしば善意の家族は統合失調症から回復している人を、かれらの回復を励ます熱意によってより不安にさせてしまう。
認知行動療法すなわち、「うつ状態や不安、思考障害の誘因となる外的、内的刺激についてどのように考えるかを選択する方法」を提供することは薬物治療に抵抗性の人々と同様に、統合失調症の早期の段階の人々に有益であることが示された。実際に、最も興味深い最近の方法として、心理学的方法を使って患者につらい幻聴を処理させたり、無視させたりすることがある。この種の心理学的介入は慢性や治療抵抗性の統合失調症においてそれだけではなんの効果もない抗精神病薬との併用によってそれらは薬物のみでは成し遂げられない改善をもたらすことができる。そしてそれらは少ない量の薬で効果をもたらし、それゆえ副作用を避けるという利点をもつのである。
最も広く応用できる効果的な精神保健サービスの新しい制度の1つは統合失調症で苦しむ人々を「サービス利用経験のある労働者」として有給雇用することである。彼らは危機の中で専門家たちや訪問看護担当者らと積極的に一緒に働く。また、彼らはサービスを計画したり発展させたりということにおいて管理者と一緒に働くのである。彼らは「しろうと」とみなされることをやめた。彼らは自らの経験によって治療を熟知した、いわば「経験による専門家」なのです。彼らは仕事や患者が必要とするものについて、皆に今までとは違った考えを持たせ始めている。
もし、公のもしくは専門家らの回復の概念が、幻覚や妄想から自由となり地域社会で他の人が経験するような類の職業や家庭にもどることならば、重症な統合失調症の多くは回復に失敗しているようにみえる。そのことは回復を定義する方法としては、悲観的で屈辱的で不必要なものかもしれないと「サービス利用経験のある労働者」は指摘している。
さらにしばしば患者の回復の定義は次のことが重要であることを強調している。すなわち、彼らにとって有意義な方法で時間を使う方法を見つけることである。前に述べたように、我々は長年の研究から、病院でも家でも無気力や刺激の欠如が個人の可能性に限界を与え、苦痛をもたらしたり、再発を引き起こしたりすることを知っている。
将来の作業療法士は、個人が選択でき、かつその個々人の才能をのばし興味を引くような、地域社会におけるすべての可能性を動員する企業家になる必要があるでしょう。それには有給雇用も含まれると思われます。しかし、すべての人が仕事に復帰したいと思ったり、また復帰できるようになったりするわけではない。なかには、チャリティー・ボランティア活動によって、またとりわけ、統合失調症の患者の家族によって、最もよい個人の才能が引き出されそれが発達するのである。
私のホームタウンに住む若い統合失調症患者の母親は、繁盛しているガーデンセンターを営んでいる。そこでは、植物、野菜、芸術的な作品などを売っている。ある統合失調症を有する男性は自転車修理店を経営している。彼の病気は、生涯を通じての自転車への興味が満たされる機会が与えられるまでは、「回復の見込みなし」というレッテルをはられていた。コンピュータアドバイスセンター、コーヒーショップ、レストラン、そしてアートショップ、これらすべては、統合失調症を患う人々の興味を引くために作られてきているもののよい例である。

6  おわりに
私は、英国において近年20年の間に統合失調症を患う人々へのサービスがどのように急速に変化していったかということを述べた。
地域ケアを発展させるわれわれの試みはつまずいた。つい先頃、精神科疾患に対する地域ケアは完全に失敗であるとして、その実施が中止となる可能性があり、深刻な状況にあった。最近5年にわたって発展をとげた変化は英国の刷新した計画や他国からの蓄積されたエビデンスをもとにしている。「危機在宅治療」のようないくつかの方法はすでに実施され、とても成功している。早期介入や「積極的な訪問看護」などの方法はまだ査定中である。それでもなお、私はわれわれが直面している困難を過小評価しないし、万事うまくいくようになるまでには長い道のりがあると思っている。

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図4 1960〜1998年の精神科病床数






ここに、日本と英国では全く違った方向にサービスが発展していることを示唆する指標(図4)がある。今年British Journal of psychiatryに掲載された、大島らによる優れた研究1)によれば、英国では着実に精神科の病床数が減少している一方、日本では反対の方向に動いているという。英国のすべての研究で長期入院が統合失調症の陰性症状の増加に関連すると示しているのに対して、大島らの研究では日本ではそれはあてはまらないとしている。
日本に滞在中に、私の統合失調症に対する考え方への相当なかつ刺激的な挑戦に出会えることを確信している。それと同様に、私の講演が皆様の考えに対してなんらかの刺激となることを期待する。


文献
1)Oshima I, Mino Y, Inomata Y : Institutionalisation and schizophrenia in Japan: social environments and negative symptoms; Nationwide survey of in-patients.
Br J Psychiatry 183 : 50-56,2003


監修:鈴木 守(豊後荘病院)
翻訳:川西洋一、田中純子、浅川千秋、大久保武人(豊後荘病院)

講演会名:茨城県精神科病院協会 学術研修会
主催者名:茨城県精神科病院協会
開催期日:2003年10月18日(土)
開催場所:茨城県総合福祉会館(於 水戸市)

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